No.65 コミュニケーション行動4 嗅覚信号(Olfactory signal)

嗅覚信号の特徴

嗅覚信号は、種や性別、家族や群れ、そして特定の個体のアイデンティティに関する多くの情報を正確に伝えることができます。しかも、動物が立ち去ったあともかなり長い時間にわたって情報を残すことができます。しかし、視覚や聴覚の信号のように刻一刻と変化する心理状態などは伝達できません。ヒトの指紋(Fingerprint)のように、各個体には特有の体臭、いわゆる匂いの指紋オドワプリント(Odorprint)があって、多くの動物では、視覚や聴覚で遠くから個体を識別しても最終的な確認は嗅覚によって行われます。

動物の持つ2つの嗅覚システム

一般に哺乳類の嗅覚はとても鋭敏です。例えば、犬では化学物質の検出感度はヒトの100万倍以上ともそれ以上ともいわれています。警察犬・麻薬探知犬・爆弾探知犬などの活躍をみても、その能力の高さはわれわれには想像もできないほどです。匂い分子は嗅上皮(Olfactory epitherium)という主嗅覚系の感覚器にある匂い受容体で感知されます。犬の嗅上皮はヒトの数十倍の面積があります。

ヒトなどの一部の動物を除き、動物にはもうひとつ鋤鼻器(Vomeronasal organ)という鋤鼻系の感覚器が存在しています。鋤鼻器は細長い管のような器官でフェロモン分子などの特殊な嗅覚信号を感知するために使われています。フレーメン(匂いに反応して唇を引き上げる反応)は猫や馬や山羊などの多くの動物種でみられる特異な表情で、フェロモン分子の鋤鼻器への取り込みに関連しています。犬やハムスターなどのフレーメンを示さない動物では、舌の出し入れや鋤鼻ポンプと呼ばれる血管の拡張と収縮を繰り返す仕組みが発達しています。

犬のマーキング行動

犬は自分自身や他個体が残した排泄物に子供のこるから興味を示します。じっくりと匂いを嗅いだあとに、自分の尿や糞を重ねることがあります。排泄物には、それを残した個体のアイデンティティと生物学的情報を知らせる信号が含まれています。尿や糞によるマーキングには視覚的な信号も含まれます。視覚信号のところで出てきた片脚挙上排尿もこの例のひとつです。

尿には多くの情報が含まれており、性的に成熟した雄犬は、雌犬の尿中に含まれるフェロモンなどの揮発性分子を手がかりに、発情などの繁殖ステージの情報を得ます。また、オオカミの群れでは、全てのメンバーが支配地域の匂いづけスポットを知っていて、見知らぬ個体によってマーキングされた場合には、興奮して自分たちの尿を繰り返し重ねる行動がみられるといいます。尿マーキングは雄性ホルモン(アンドロジェン)の影響で増加するので、家の中でマーキングしてしまう未去勢の雄犬の場合、去勢手術をすることで50%程度は改善するといわれています。

犬の挨拶行動(Greeting behavior)

犬が他の犬に挨拶行動を行う際には、耳や口、鼠径部、肛門陰部などの匂いを嗅ぎます。顔見知りの犬同士が久しぶりに再開したような場合は、お互いの肛門周囲の匂いを長時間にかけて嗅ぎあう場合が多いです。雄同士が接近した場合などは、優位な個体は尾を上げて劣位の個体に自分の肛門周囲の匂いを嗅がせます。同時に優位な個体も嗅ごうとしますが、劣位の個体は尾を巻き込んで肛門周囲の匂いを嗅がれないようにすることが典型的な行動反応です。

肛門周囲腺の分泌物は、通常糞便中に排出され、この腺分泌物には、個体の属性や特徴、あるいは社会的順列などに関する多くの情報が含まれていると推察されていますが、詳細はまだわかっていません。

犬の匂いのこすりつけ行動

犬が他の個体の排泄物などに寝転んで体に異臭をなすりつけるような行動を示すことがあります。この行動はオオカミでも知られていて、このように異臭をまとって群れに戻ると、仲間たちからしきりに探求されるため、これが報酬になっているのかもしれないし、他の個体から敵対行動を受ける可能性が低くなるのかもしれません。また、狩りのときにメリットがあるという説もありますが、詳細は不明です。

猫の嗅覚を介するコミュニケーション行動
猫は口の周り、顎、耳道、肛門周囲、尾のつけ根などに発達した皮脂腺(Sebaceous gland)を持っていて、その分泌物を特定の個体や物体、馴染みのあるものや、新しいものに対してこすりつけます。猫が身体のいろいろな部分をこすりつけた対象物には、おそらく、皮脂腺に含まれる匂い成分が付着すると考えられます。飼主に対する身体のこすりつけは、マーキングという意味のほかに、距離を縮めるための挨拶行動とも解釈されます。 猫も尿をマーキングに使いますが、やはり未去勢の雄でその傾向が強いです。雄猫は、自分の縄張り、とくに通り道や交差点、周囲との境界部などに長い時間を費やして念入りに尿を噴霧します。

この尿スプレー(Urine spray)を行う際には、腰を下げずにまっすぐに立ち、垂直に立てた尾を小刻みに震わせます。スプレーされた尿の中には多くの情報が含まれていて、繁殖期に雄と雌が出会う手がかりになったり、馴染みのない場所に対する不安を取り除いて環境への順応を早めるのにも役立ちます。猫は犬と違い、他の個体が残した尿の上にマーキングをして、匂いを覆い隠すようなことはしません。

ちょっと長くなりましたが、動物個体間のコミュニケーションの話はいかがでしたでしょうか?このようなことを考えつつ動物たちを観察すると、新しい発見があるかもしれません。

今回の4回にわたるコミュニケーション行動の項の内容は、リンゲルゼミでの高倉はるか先生の講義、森祐司先生・武内ゆかり先生・内田佳子先生の共著『動物行動学』(インターズー)を参考にさせていただきました。