No.49 痛みについて1

動物の痛みについて考えてみます。『痛み』を文章で表すのは、なかなか難しいです。国際疼痛学会(IASP)は『痛み』を『組織の実質的あるいは潜在的な障害に結びつくか、このような障害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験』と定義しています。わかり辛いですね。例を挙げると(日大の佐野先生のお話がわかりやすいので引用させていただきます)。犬に咬まれたときのことを想像してみて下さい。このとき『痛い』と感じるとともに『つらい』とも思うのではないでしょうか?このことを少し難しく解説すると、『痛い』は感覚であり、『つらい』は感情表現なので、犬に咬まれて生じる『痛み』は、先ほどの定義にある通り『感覚情動体験』と言い表すことができます。このときに経験したのと同様な意識内容、例えば、犬ではなく猫に手を咬まれるTVドラマの場面を見た場合も『痛い』と思うことがあります。今、実際に体に痛みがあるわけではないけれど、思い出して痛いと感じているわけです。ご自分が注射を受けるとき、注射の針が刺さってないうちから『痛い』と思ったことがある方も多いと思いのではないかと思います。つまり、痛みには、実際に経験して感じるものと、経験をもとに思い出して痛いと感じる2つの感覚があるのです。

このようなことから、痛みのケアをする場合には、組織が障害されたときに生じる感覚・情動体験は、まぎれもない痛みであること、もう1つは身体のどこにも原因が見当たらない感覚・情動体験であっても、これを痛みと認めて動物の苦しみに理解を示すべきであるということになります。また、言葉でコミュニケーションできない動物であっても、痛みを感じる可能性、痛みの緩和の必要性を否定するものではないこと、痛みは常に主観的であるということも頭に入れておく必要があります。

要するに、『痛い』という感覚は主観的であるため、感じ方・感じる程度は個々で大きく異なり、言葉でコミュニケーションがとれない動物であっても、痛みがあるかどうか、痛みを感じているかどうかわからない=痛くない。というように考えてはならないということです。

しかし、不快で体や心にダメージを与える痛みにも、生体にとって重要な役割があります。もし、痛みを感じなければ…転びそうになったときに受け身をとったり、犬に咬まれそうになったときに手をひっこめたり、車にひかれそうになったときに咄嗟に逃げたり、というような行動を抑制してしまいまい、生体にとって非常に危険な状態になります。このようなことから、『痛み』は生命を守る重要な感覚であることが理解できると思います。

次回に続きます。